仏壇と神棚

 家の中に仏壇と神棚がある。日本でよくある一般的な光景ですね。
 若い方の家だと、最近のパワースポットブームからか、仏壇はないけど神棚はあるという方もいらっしゃるかもおられるかもしれません。少し前のテレビで小型の神棚が若い女性に売れているという話題を観たほどです。

 しかし、日本ではご先祖様を仏教式でお祀りされている方が多いですよね。2つの宗教を同時に信仰の対象とするのは、日本人だけではないでしょうか? でも、日本人であるわたしたちには矛盾した感覚がさほどないようにも思われます。お盆はお墓にお参りをし、お正月には神社に参詣する慣習に違和感はありません。

「お葬式をどうするか」(ひろさちや著/PHP新書)ではこう書かれています。
江戸時代に幕府によって檀家制度が敷かれ、お葬式が寺院の専売特許になってから、仏事と神事が分かれてお葬式は仏事であるとみなされたことも、お葬式の時に神棚を閉ざす一因になっているのでしょう。江戸時代の檀家制度と、明治時代の国家神道政策がいまだに尾を引きずっている例だと思います。


 ふつう仏壇には二代か三代くらい前までの位牌が祀られ、家族はそれに手を合わせ拝みます。ときにはロウソクに火をともし、線香をあげ念仏を唱えたりもします。これこそ先祖供養のかたちですが、年忌法要を含めたこの習慣は、日本仏教に介在する儒教の要素が日本人に強く浸透している証です。江戸時代から幕府に庇護されながら社会全体に広がった仏教によるお葬式のあり方は、数百年の時を経て深く日本人に定着しているのです。

 一方、神道は、古代より日本の風土や生活習慣から生まれた、自然崇拝の原始宗教です。開祖もおらず、教義や経典もありません。自然に宿る「神」を信仰に近い形でその存在を認めています。キリスト教やイスラム教のように一神教ではなく、神道の神は、八百万の神(やおよろずのかみ)というようにわたしたちの周りに無数に存在します。森羅万象のなかで無意識に感じる「神」の存在感覚が神道といえると思います。

 一つの家に「仏壇」と「神棚」が両方祀られるのは矛盾していますのが、昔の人は、一年のさまざまな行事についてその意味するところを理解した上で、日々の安寧を願っていたようです。仏教は「葬式仏教」として村人の葬式や法事・供養を担い、神道は「氏神祭司(うじがみさいし)」を営み、村を統合する役割を持っていました。いわゆる「神仏習合」という思想です。村のなかに菩提寺があり、氏神さまとしての神社が存在していても少しの違和感も感じなかったのでしょうね。
(あくまでも私的な考えです。)

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