仏壇と位牌の役割り

仏壇の中にご先祖様のお位牌があり、そのお位牌に向かって手を合わせる。
よくある日常の光景ですね。
私たちはことある毎にご先祖様のお位牌に手を合わせて供養をしたり、または相談や報告をする習慣を持っています。
それでは、日本人の〈先祖を祀る〉という習慣はどこからきているのでしょうか?

「葬儀と日本人」(菊池章太著/ちくま新書)ではこう書かれています。
『儒教では人としての徳目のなかでなによりも礼を重んじます。それは孝からはじまるという。(中略)ここでは孝の具体的な実践は「祭祀」であると語られている。これはもちろん先祖の祭祀を意味する。孝とはすなわち先祖を祀ることにほかならない。中国では孝とはまずもって先祖につくすことである』


孔子を始祖とする儒教の大きな特徴は「霊魂」の存在を肯定することです。この「霊魂」は「鬼神」と呼ばれ、時を経て「鬼籍」に帰属します。中国では「鬼」は死者を意味する言葉です。鬼神は鬼籍には入りますが、鬼神が存在する場所は人間と同じ「この世」にほかなりません。仏教でいう六道、すなわち「あの世」は儒教おいて存在しない世界なのです。

儒教の考えに即していえば、いまの「私」は両親から生を受けて存在するが、両親は遠い先祖ともつながりを持ち、私の出発点はあくまで先祖に帰着し、従って先祖は大事に祀らねばならないとしています。儒教の教えが強く影響を及ぼしている中国や韓国で人々がお墓の前でかしづく姿は、彼らの先祖崇拝の信仰の強さを物語っています。そしてその本質は、「血筋」であり「血統」といわれます。「血の系譜」の上に先祖祭祀が成り立っているわけです。

一方日本の先祖崇拝は、血の系譜というよりも「家の系譜」にほかなりません。江戸時代の武家階級では、なにより「家」の存続、「家」の体面を第一に考えていました。明治になると、平民にも「氏」が与えられ、庶民のあいだでも「家」の概念が定着し、家の系譜が意識されるようになります。

中国や韓国では何代も前の先祖までも祭祀の対象としますが、私たちの先祖供養はせいぜい曾祖父までの3代をさかのぼる程度が限度ではないでしょうか。このゆるやかな先祖崇拝は江戸時代の人々であっても同様であったといいます。中国や韓国でいう「先祖」とは要するに「私の始祖」と同義語であり、始祖とのつながりを皮膚感覚として感じているのです。

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